oyuchi, 父は塾の講師で、ここらでは名の知れた人だった。
見渡せど老人ばかりで、子供がすぐには見当たらないこの町だが、それでも学校はある。ただ、校舎は人より草がはびこり鬱蒼としていて暗く、教師もただ一人だった。その唯一の教師も振りかざす教育論が独特とあって、子供に裸足で山歩きばかりさせ教科書を追わない。必然、親からも子からも好かれていなかったのだ。
それだから、親たちは塾を頼った。生真面目な父の教え方は無骨だがかえって端的で評判が良く、町の子供という子供は私の父に読み書きを習っていた。
私という子が生まれる直前も、父はやはり授業をやっていた。その頃生徒は七人ほどで、皆さぼりも歯向かいもせず、良い子たちだった。
そこへ、近所の布屋が駆け込んで来たそうだ。
「生まれるってよ」
その時、私は母の腹の中に居て、今か今かと待たれていたのである。私がなかなか出て行かなかったために、母だけが病院に寝泊まりをはじめたところであった。
父は一瞬限界まで口を大きく開けて何か云いかけたが、まだ始まったばかりの授業を放棄するわけにも行かない。そのまま気合を入れて口を閉じ「次の頁」と云った。
すると、生徒は皆「行ってください」と口々に立った。責任感から、父がある種の忍耐をしていることを、生徒は皆察したようである。「家でしっかりと自習しますから」と帰り支度を始める気が利く者までいたと云う。
かくして、父は塾を飛び出し、隣町の病院へ向かった。その時はまだ、私は母の腹で暴れていた。
来ないことさえあるバスには頼れず、走ったほうが早いと判断したそうだ。駆けていくと、隣町との境を越えたところで声を掛けられ、父は足を止めた。
「すんません、そこのおかた」
見れば、長い鯨幕が続いていた。話しかけて来たのは老婆であった。父は、町の人間全て、名前も顔も記憶していたので、この見知らぬ人物は隣町の誰かだろうと思った。
何ですか、と云うにもまず息を整える必要があって、肩を揺らしていると、
「連れが、おとついに死にまして」
などと云う。唐突で「はぁ」と言葉になる前のような返事しか出来ない。
「今葬式ばァやっとりますが、だァれも人がいねくて」
妙に訛っているが、どこから来た人だろうか。少なくともこの辺りの話し方ではない。たった数歩、町の境目を外に出ただけで、まるで遥か遠方まで来たかのように錯覚したそうだ。
「ほいだと、浮かばれねえもんだから。見たところ立派なお仕事されてるおかただと思います。おねげえします、弔辞ば読んでくれねがす」
聞き取りにくかったが、意味はわかった。
葬式をやっているが、人が居なくて少し寂しいものになっているのだろう。哀悼の辞を引き受ける知人も居なかったのだろう。それで、見ず知らずだが、仕事着の、真っ当そうに見える私の父に、弔辞を読んでくれとお願いしているのだ。
「そうは云っても、あなたの大切な人のことを、私は何も知りません」
至極当然、父はそのように断った。しかし、老婆は殆ど涙顔で手を合わせ、拝むように云うのだった。
何かしてあげたい気持ちはあった。それで故人と今残された者が心安らかなら、引き受けても別に良いと思った。
一方、病院へ急ぎたい気持ちもまた、あった。私が、母の腹から出てくるその瞬間に間に合いたいと、ここまで走ってきたのだ。
「いつ読めば良いですか」
端的に父が聞くと、老婆は、
「今すぐおねげえします」
と云う。
「作るのに時間をください。今からここで書きますから、あなたは私に、故人がどんな方だったかをずっと語り続けてください。良いですね」
そして青空の下、父は鞄を机にして万年筆を握り、老婆が語る見知らぬ人の話を聞き続けたのだった。
遺影の前、蝋燭を点け、誰も列席しない葬式で、父は立派に弔辞を読んだ。老婆はそれは嬉しそうで、涙を流して、殆ど神様にするように拝んでくれたと云う。
果たして、父は私の生まれた瞬間には立ち会えなかった。母はそれを責めたりはしなかった。唯一私が、他の赤子では考えられないほど泣いたそうで、父はそれを気に病んでいたらしい。
数年が経ち、父と母は、示し合わせたように同時に、眠るように息を引き取った。直前まで元気だった二人は「どっちが弔辞を読むだろうね」などと冗談を云い合っていた。お迎えの足音のようなものが、二人だけには聞こえていたのかもしれない。
葬式は町の人全員が来たが、それでも静かで穏やかだった。
一人となった後、私は職にあぶれて食い扶持にも困っていた。父の教えた子供たちは皆それぞれ良い大人になって、一番近くにいたはずの私が落ちぶれていた。
私は父を誇りに思っていて、巣立った生徒が何事か成した話を聞いては鼻を高くする一方、内心悔しくて仕方が無かった。
賢い父と母の子で、町一番評判の父の手ほどきを受けながら、今の私のような者が出来上がるだろうか?
ならば、この出来の悪さは自身に原因を求めるしか無いであろう。だが、頭を掠めてしまうのである。
父は、他所様の子には丁寧だが、私にだけいい加減だったことは無いだろうか?
あの時、父は私より誰とも知れない人の葬式を優先したのだ。思いやりからとは云え、彼の自己犠牲的精神は、家族だからと決して贔屓しなかったのだ。
数える程の銭もなくなり、良い仕事を求めて、都会へ向かうことになった。バスは未だ全く来ないので、やはり歩いて隣町へと向かい、その境を丁度過ぎたあたりでのことだった。
「礼を言わせてくだせえ」
と声が聞こえる。しかし姿がどこにも見えない。
「えがった、探しておったです」
妙に訛った声は、天でも地でもない、今いる目の前から聞こえてくる。しかし、何度目を擦っても目の前には何も見えない。声は、懐かしむように、涙を堪えるような音色で続いた。
あの時、弔辞を願ったのは自分だと。あなた様が、不出来な葬式を飾り、極楽で二人がもう一度巡り合える道しるべを作ってくれたのだと。以来こうして近くに来ては、会ってお礼を言いたかったのだと。
極楽の時間の流れはこことは異なるのだろう。私を、亡き父と勘違いしたまま、老婆の声は云った。
「あの後お生まれなすった御子は元気でございましょうか。申し訳ないことを、してしまいました。弔辞の裏にびっしりと、余程長いこと、考えられたのでしょう。それはそれはぎっしりと、ありとあらゆるお名前を書かれて……これ程までに思うております母子のもとへ、何故すぐ行かせてやらなかったと、よくよく悔いていたもんですから……」
咽び泣く老婆の声に、私は何と云って良いかわからなかった。
「お役に立てて良かったです」
とだけ伝えると、声は風が舞い上げたように突如その気配を消し、後には一つ、破けかけた手帳だけが残された。中には、百も、いや千もありそうなほど名前が書かれている。その名前一つ一つに、意味と願いが書き添えられている。そして最後の頁に、やっと一つ、丸の付けられた箇所がある。
それが私の名前だった。
他の誰でもなく、自分は自分である、そのような願いが込められているそうだ。